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震災から9ヵ月 [東日本大震災]

3/11の東日本大震災から、ちょうど9ヵ月になる12/11は、日曜でしたが朝4時に起きて被災者支援に関わる仕事をしてきました。
今回支援したのは、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区の被災者の方々です。

海沿いにある港町の閖上地区は、津波ですべてが流されました。今もまだ多くの船が打ち上げられたままで、家の土台すらも無い、すべてが流された光景が一面に広がっています。
(閖上地区の状況はMSN産経フォトのサイトで見ることができます。4/1はこちら、6/11はこちら

その閖上地区では毎週日曜に「ゆりあげ港朝市」が開催されていましたが、震災後もイオンモール名取エアリの西側駐車場を借りて、毎週日曜の朝6~10時に開催されています。
(震災前の朝市について詳しくはこちら、震災後の朝市について詳しくはこちら

今回初めて行ってきましたが、夜明け前からかなりの人が来ていて、活気にあふれていました。

SBSH1290.jpg SBSH1292_1525.jpg


日曜は閖上に住んでいた方から震災発生時の話を聞く事もできました。

「津波が来た時は中学校の3階に避難していて助かった。津波は8~10メートルの高さで、1階部分は完全に浸水していた。目の前で、津波で人が流されている光景を見たが、何もできなかった。閖上に戻ると、どうしてもその光景を思い出してしまうので、私は閖上には戻らずに、別の土地に住む事にした。家族は無事だったが、会社の人が何人か犠牲になった。地震の後、会社で待機していた人は大丈夫だったが、高齢の家族がいるので自宅に戻った人が、津波の犠牲になった。」

生々しい話を直接聞けたのは、貴重な体験でした。

住宅の再建がなかなか進まないのは、国からの補助の問題だけでなく、「家を元の場所に再び建てるのか、それとも高台や内陸などに移転して建てるのか」が、住民の間でも意見が分かれていてなかなかまとまらないという理由もあるのだと実感しました。

戻るか戻らないかで、家族の間で意見が分かれる事もあるようです。実際、私がお会いしたご夫婦は、旦那さんは愛着のある土地に戻りたいが、奥さんはもうあの場所には戻りたくないと言っていました。ちなみに、閖上に住んでいた人の中で、また元の場所に戻って住みたいと考えている人は全体の25%だそうです。



また、宮城県石巻市では、県道の中央分離帯に津波で流されてきた水産加工会社の巨大缶詰が横転したままになっているのですが、住民の間でも「震災を忘れないためにも残しておくべき」という意見と、「津波を思い出すので早く撤去してほしい」という意見で分かれていて、どうするのか結論が出ていません。(詳しくはこちら



震災から9ヵ月も経つと、被災地と被災していない地域、同じ被災者でも普通の生活に戻った人と今なお辛い生活をしている人の温度差がかなり出てきています。同じ被災地に住む者として、少しでもその温度差がなくなるように、そして多くの人に今の被災地の状況や被災者の心境を知ってもらえるように、これからも毎月11日前後には震災に関する記事を書いていこうと思います。
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