宮城県南三陸町 訪問記 [東日本大震災]
昨日で、東日本大震災から1年3ヵ月を迎えました。
遅くなりましたが、今年3/25に南三陸町へ行ってきた時のレポ(後編)を書きたいと思います。
前編は、4/3に書いた「南三陸キラキラ丼」のレポ記事です。(こちらです)
まずは防災庁舎です。
献花台が設置されていて、多くの人が訪れていました。
私も、手を合わせてきました。
防災庁舎の周りは、すべてが流されて一面何もない光景が広がっていました。
ガレキはキレイに片付けられていましたが、津波の凄まじさは十分感じられました。
この写真の建物は、公立志津川病院です。(5/31に解体作業開始)
3/25に見た時は、屋根の上にまだ船が乗り上げたままになっていました。
高台の神社に避難した児童達が、卒業式で歌う予定だった川嶋あいさんの「旅立ちの日に…」を歌って励まし合ったエピソード(詳しくはこちら)で知られる南三陸町立戸倉小学校も見てきました。
戸倉小学校は、海のすぐ近くにありました。
手前の、骨組みだけになっている建物が体育館です。
こちらが高台の神社(五十鈴神社)です。
下のほうは、津波で木がなぎ倒されていました。
ちょうどこの鳥居のあたりまで、津波の跡が見受けられました。
厳しい寒さの中、児童達はこの神社で一夜を過ごしました。
南三陸町にあるモアイ像も、津波で破壊されていました。
なぜ南三陸町にモアイ像があるのかについては、南三陸町のHPに詳しく書かれていました。
以下、HPからの抜粋です。
この像は、イースター島にあるモアイ像のレプリカで、本物のモアイと同じ種類のチリ共和国本土の石から、現地の石工が製作し平成3年7月に設置したものです。 当地方は、昭和35年5月に発生したチリ地震津波で大きな被害を受けました。この地震津波で被災し、復興を遂げた両国の友好のしるしとして、平成2年に当時の駐日チリ共和国大使が来町して町に「友好のメッセージ」を贈りました。これがきっかけで、交流が始まり、モアイ像は平成3年7月に復興と友好の、そして防災のシンボルとして設置されました。
同じ宮城県民として、県内の被災地の状況は自分の目で見ておきたい。
そう思って、今年になってから気仙沼、南三陸、石巻方面へ行ってきました。
やはり、テレビや写真で何度見ていても、実際に自分の目で見ると全然違いました。
そして、復興支援のために自分に何かできる事はないものかと、考えさせられます。
震災の記憶を風化させないためにも、これからも時々はブログで被災地レポを書いていきたいと思います。
テレビで何百回も映っていた防災庁舎ですが津波が屋上までも
のみ込んでしまったと言うのが信じられないほどです。
職員の人たちはどれだけ怖かったことでしょう。
by なおじん (2012-06-12 19:44)
☆なおじんさん
この防災庁舎からさらに内陸にある仮設商店街の近くの建物も、3階の高さまで津波が来た跡がありましたが、それを見た時は衝撃的でした。「こんな内陸にまでこれだけの津波が来るなんて…」というのが率直な感想でした。
神社に避難した子供達は、海のすぐ近くの小学校という事もあってか、普段から津波が来たら高台に逃げるように教えられていたようです。
無事で何よりでした。
by ガッキー (2012-06-13 02:11)