石巻の巨大缶詰 [東日本大震災]
今年3月、宮城県の南三陸・石巻方面へ行った時、石巻市の県道の中央分離帯にあった巨大缶詰も見てきました。
(2012年3月25日撮影)
この巨大缶詰は、実は地元の水産加工会社「木の屋石巻水産」の敷地内にあったタンクで、東日本大震災の津波で300メートル近くも流されてきました。
この巨大缶詰の震災前の様子はこちらです。
観光スポットにもなっていたようですね。
震災後についてはこちらをご覧ください。
6/30に、このタンクの解体撤去作業が行なわれました。
津波の脅威を後世に伝えるために保存を求める声もありましたが、被災者の「震災を思い出す」という心情を考慮して撤去することになり、解体後は鉄製のテーブルやベンチなどに生まれ変わるそうです。詳しくはこちら(2012.6.30 毎日新聞)をご覧ください。
(2012年3月25日撮影)
この巨大缶詰は、実は地元の水産加工会社「木の屋石巻水産」の敷地内にあったタンクで、東日本大震災の津波で300メートル近くも流されてきました。
この巨大缶詰の震災前の様子はこちらです。
観光スポットにもなっていたようですね。
震災後についてはこちらをご覧ください。
6/30に、このタンクの解体撤去作業が行なわれました。
津波の脅威を後世に伝えるために保存を求める声もありましたが、被災者の「震災を思い出す」という心情を考慮して撤去することになり、解体後は鉄製のテーブルやベンチなどに生まれ変わるそうです。詳しくはこちら(2012.6.30 毎日新聞)をご覧ください。
以下、私からの提言です。
ここのところ、震災の爪痕(つめあと)を残していたものが次々と撤去されていますが、100年後、200年後を生きる人達の事を考えると、津波の被害の跡は残しておかなければいけないような気もします。と言うのも、三陸地方は昔から津波がよく来るわりには、津波の被害を物語るものがほとんど何も残っていません。
ここで思い出されるのが、広島の原爆ドームです。
被爆した建物をそのまま残している原爆ドームには、全国から多くの人が訪れます。
原爆ドームがあのような形で残っているからこそ、見る人に大きな衝撃を与えるのです。
そして、人間が二度とこのような過ちを犯してはならないことを教えてくれます。
今回の津波被害の跡も、現地に足を運んで実際に自分の目で見てみると、写真や映像で見るのとは比べものにならないほど大きな衝撃を受けました。そして、自分には何ができるんだろうと考えさせられました。
私は、津波被害の跡はより多くの人に自分の目で見てほしいと思っています。そして、震災を風化させないためにも、やはり形として何か残しておくべきではないかと思うのです。
ただ、これに関しては賛否両論あるのも事実です。
津波の被害に遭った人の「津波を思い出すので残さないでほしい」という心情も理解できます。
過去の津波の被害を物語るものが残っていないのは、これが理由なのかもしれません…
私もここは何回か通りましたが周りのガレキが少なくなっていく中で
ずっと取り残されている様な感じを受けました。
残すのかな?と言う気持ちと、被害に遭われた方にとってはつらい
記憶になってしまうし・・・やっぱり賛否有るのは分かります。
解体は決まってしまった事なので木の屋石巻水産さんにはもう一度
同じもの、いやそれ以上大きなものを作れるくらい頑張って欲しいです。
by なおじん (2012-07-15 09:45)
☆なおじんさん
私は仙台の内陸部に住んでいて、直接津波の被害に遭ったわけではなく、また知り合いで犠牲になった人もいないという事もあり、震災や津波の跡は残しておくべきだという考えをずっと持っていました。
そんな私ですが、いまだにテレビの緊急地震速報の音を思い出すと、全身に鳥肌が立ってしまいます。この音を聞くと、震災当日の「津波で街が飲み込まれて大量に犠牲者が出た」というニュースを聞いた時の感情がよみがえってきてしまうのです。ですので、正直、緊急地震速報の音は変えてほしいとも思います。これは軽度のPTSDと言えるのかもしれません。
最近になって、「津波の跡を見ると思い出すから撤去してほしい」と言う人の気持ちが、なんとなくわかるような気がしてきました。そうなると、軽々しく「保存すべき」とは言いづらくなってきました。でも、ほんの少しでいいから、何か形として残しておいてほしいです。
by ガッキー (2012-07-15 20:01)