震災から20日 [東日本大震災]
震災から20日が経ちました。
仙台の街は、少しずつ普通の生活に戻りつつあります。
月曜にはスポーツ新聞の販売が再開。
私の家の近くのクリーニング屋も営業を再開しました。
コンビニも1日2時間とか3時間の営業ではありますが、ほとんどの店舗で営業を再開しました。ただし、商品があるのはおにぎりの棚と、新聞ぐらいですね。雑誌は震災以降、まだ販売されていません。コンビニには震災の前から置かれていた雑誌がまだ少し残っている状態です。
ライフラインの復旧状況ですが、水道は仙台市の隣の富谷町と利府町もようやく復旧し、これでウチの会社の社員の家は全員復旧しました。
あとは都市ガスですね。少しずつ復旧してきているのですが、我が家はもう少し先になりそうです。ガスの復旧していない我が家ではまだお湯が使えないので、体を洗うこともできません。オール電化やプロパンガスの家は、水道が復旧すればお湯が使えるので、今はもう毎日風呂にも入ってほぼ普通の生活ができているようです。うらやましい!
ちなみに私は震災以降、体を洗ったのは2回だけです。
1回目はオール電化の家の人にシャワーを借りました。
2回目はこないだの日曜、家で「水シャワー」にチャレンジしてみました。気温6℃の中、顔と髪の毛と下半身を洗いましたが、上半身はさすがに無理でした。
会社へは、相変わらずバスと地下鉄を乗り継いで通勤しています。先週までは1時間10分程度で行けたのですが、ここのところ1時間半以上もかかっています。水道もほとんど復旧し、自宅待機の人が減ったからでしょうかね。普段なら30分で行けるので、今は通勤だけでかなり疲れます。東京勤務だった時以上に通勤に時間がかかってますからね…
そんなわけで震災以降は「朝6時に起きて夜11時には寝る」という朝型の生活になっています。地下鉄の全線復旧は5月末の見込みなので、この生活はあと2ヵ月は続くことになります。
まあそれでも、津波で家が流された人の事を考えると、家で生活できている私なんかは「被災」のうちには入らないですよね。私は知り合いもみんな無事でしたし、幸せなほうです。最近はそんな風に思うようになりました。
「旅立ちの日に…」の小学校の卒業証書は「大丈夫」 [東日本大震災]
先日、津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の小学生が、卒業式で歌うことになっていた川嶋あいさんの「旅立ちの日に…」を避難所で歌い励まし合った…というニュースが報道されました。
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/archive/news/2011/03/24/20110324k0000e040055000c.html
この時は「すべてが津波にのまれ、これでは卒業式もできない」という絶望感でいっぱいだったと思うのですが、昨日「校長室に残っていた金庫から無事に卒業証書が出てきた」という、まさに「今始まる希望の道」のようなニュースが報道されました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110328-OYT1T00121.htm
昨日3/28(月)の読売新聞朝刊にも、この内容の記事が載っていました。
震災から2週間 [東日本大震災]
昨日で地震から2週間が経ちました。
現在の被災地・仙台の状況を報告したいと思います。
電気はほぼ全域で復旧。水道もほとんどの地域で復旧しましたが、都市ガスはようやく復旧に向けての作業が始まったところです。オール電化とプロパンガスの家の人はお湯が使えるようになりましたが、私の家は都市ガスなので、お湯が使えるのはまだしばらく先になります。
地震後、シャワーは一度だけオール電化の人の家で借りただけです。
とにかく、早く風呂に入りたい! それが「今一番やりたい事」ですね。
ちなみに髪の毛は、私はお湯の出る会社の洗面所で、家族は電気ポットで沸かしたお湯と、ペットボトルに入れた水をストーブの前に置いて作ったお湯を使って洗っています。
食料品は、先週まではどこのスーパーも2~3時間並ばないと買えませんでしたが、今はほとんど待たずに買えるようになりました。買える物の種類も、だいぶ増えてきました。
そして、営業を再開する店も増えてきました。
私の家の近くのラーメン屋やケーキ屋も営業を再開しましたが、都市ガスを使っている飲食店には「ガスが復旧するまで休業します」との貼り紙が貼られています。
地下鉄は高架部分の橋が壊れたため、4駅分の区間(台原~泉中央)が運転見合わせ。復旧には2ヵ月以上かかる見通しです。会社へは、普段なら地下鉄一本で30分で行けるのですが、今は無料シャトルバスと地下鉄を乗り継いで、1時間以上かけて通勤しています。結構疲れます。
ガソリンは、ようやく木曜から供給が再開され始めました。
とは言っても、ガソリンスタンドには早朝から3時間並ばないと給油できないような状態です。
仙台は、復興に向けて少しずつ動き出しました。
ただしこれは仙台市の話なので、周辺市町村はもっと遅れています。
まだまだ普通の生活には戻れていませんが、避難所暮らしの人に比べたら恵まれているほうなので、愚痴は言っていられません。
川嶋あいさんが西日本で復興支援路上ライブ [川嶋あい]
川嶋あいさんが、このたびの東日本大震災の復興支援で路上ライブを行ないました。
(路上ライブを行なうことを発表した3/17のニュース記事はこちら)
路上ライブは、3/17から3/21にかけて、広島、福岡、山口、神戸、大阪の西日本5ヵ所で実施されました。(広島でのライブのレポ記事はこちら)
ライブの様子は、その都度アメーバブログ(ひとことブログ)とmixiの日記でも更新されました。
3/20の神戸でのライブは、多くのサイトで取り上げられました。
(サンスポの記事はこちら、おおさか報知の記事はこちら、メビューサラジオの記事はこちら)
ライブの後に、募金活動が行われたようですね。
以下、おおさか報知のサイト記事からの抜粋です。
歌い終えると、「CD300円以上、募金1円以上」と手書きした募金箱を持った。少しでも多くの“善意”を集めようと、これまでのシングル作品に加えて、今月上旬にレコーディングしたばかりの未発表曲のCDまで値段を付けずに販売した。希望者には、直筆のサインも書き添えた。
この5ヵ所のライブで集められた義援金は、100万円を超えました。(詳細はこちら)
地震の被害状況を写真で報告 [東日本大震災]
地震発生以降、ずっと携帯からの更新をしていましたが、今日からパソコンでの更新を再開します。これからはコメントの返信も再開したいと思います。昨日までいただいたコメントには返信できませんでしたが、本当に皆さんありがとうございました。
さて、パソコンでの更新再開ということで、地震の被害状況を写真で報告したいと思います。
まずは、震度6強だった福島県南部の工場。
実は地震発生時、私の同僚はこの建物の中で商談をしていました。
何とか無事に建物の外に避難することができたそうですが、その後建物は倒壊。
避難するのがあと数分遅かったら、どうなっていたかわかりません。
その同僚が現地で撮ってきた写真を載せました。
続いては、津波も押し寄せた宮城県石巻市。
被災地に住む私の今の心境 [東日本大震災]
今日は、被災地・仙台に住む現在の私の心境をつづってみたいと思います。
土曜までに食料がある程度確保できたので、とりあえずこの2日間はゆっくりできました。ちょっと前までは、この先もし食料が買えなくなったらどうしよう…という不安でいっぱいでしたが、少し精神的な余裕も出てきました。
そうなると、「今の私は何をすべきなのか」と考えることもあるのですが、私も被災者であり、何もできません。
そんな今の私にできることは…
元気でいること!
元気でいれば、遠方に住んでいる親や知人を安心させることができます。
元気でいれば、被災地で不足している薬も使わずに済みます。
元気でいれば、万一体調を崩して買い出しに行けない人がいた場合でも、代わりに買いに行ってあげることができます。
というわけで、今の私にできることは「元気でいること」だという結論に達しました。
実は私は地震発生後、一度だけ体調を崩しましたが、無事一日で体調は復活し、その後はずっと元気ですのでご安心ください。
しかし昨日あたりから仙台でも花粉が飛び始め、今日はずっとくしゃみと鼻水が止まらず苦しんでいました。花粉症の私には辛い季節になりました。
それにしても、本当に余震には気が滅入りますね。私のマンションは地震でヒビが入ってしまい、誰かが通路を歩いたり近くを車が通るとミシミシと音がするようになってしまったのですが、そんな時も余震かと思ってしまうので、なかなか気が休まりません。
まあとにかく頑張って乗り越えていくしかないですね。
追伸
皆さんからの温かい激励のコメントには、かなり励まされています。本当にありがとうございます。
地震発生9日目にしてようやくシャワー [東日本大震災]
皆さんからの温かい励ましのコメントにはかなり元気づけられています。本当にありがとうございます。
さて、仙台市内では木曜あたりから営業を再開するスーパーやホームセンターが徐々に増えてきました。
店の在庫がなくなったら終わりというところもありますが、配送センターから商品が毎日納品されるようになったスーパーも出てきました。
ただ、多くのスーパーでは「一商品につき一人1点まで」とか「2点まで」という制限があります。合計買い上げ点数についても、10点以内とか15点以内という制限のあるところもあります。
毎日行列に並んで食料や物資を確保する日々は相変わらず続いています。
平日は私は仕事があるので、いつも家族に3時間近く並んで買い物をしてもらっていますが、金曜は私も雪の降る中、朝7時から一緒に並びました。約2時間半並んで食料をゲットしてから会社へ。そして私が会社に行ってる間にも、家族は別のスーパーで買い出し。
土曜も朝早く起きてホームセンターへ買い出しに行ってきました。
ここ2~3日は買える物の種類も増え、当面必要な物は確保できました。(とは言っても数日分ですが)
地震発生以降、連日の買い出しで休む暇もない状態でしたが、これでとりあえず少しだけ休めます。
我が家は水道は復旧しましたが、まだ仙台市内全域で復旧したわけではありません。そして都市ガスの復旧には1ヵ月以上かかるようです。
今、お湯が使えるのは「水道とプロパンガスが復旧した家庭」か、「電気と水道が復旧したオール電化の家庭」のみです。
私の会社では、お湯が使える家に交代で家族を連れて行きシャワーを浴びさせてもらっています。
私も昨日、オール電化の同僚の家へ行って、9日ぶりに体を洗うことができました!
ガソリンは相変わらず入手困難な状態が続いていて、いつ営業再開するかもわからないガソリンスタンドにまで車が大行列を作っています。私もそうですが、ガソリンの少ない車は運転を控えているため、仙台市内の道路はかなり交通量が少なくなっています。
宮城県でも地震発生5日目の火曜日以降、少しずつ通常の番組が放送されるようになってきました。最初は「こんな状況で放送再開するの?」と思いましたが、その番組を見ている間だけは被災していることを忘れられるので、ちょっと救われているところもありますね。通常の番組は日に日に多くなっており、土曜からは民放に関してはほとんど通常通りになりました。もちろん、画面の一部では常に震災関連の情報が流れていますが。
今までずっと体を洗うこともできないまま水や食料の確保に追われ、本当に気が滅入りそうでしたが、久々にシャワーを浴びることができたのと、買い出しがしばらく休めるようになったということで、少し気持ちが楽になりました。
地震発生から1週間 [東日本大震災]
引き続き、被災地・仙台の状況をお伝えします。
地震発生から5日目となるおととい火曜の夕方、我が家の水道が復旧しました。これで給水所には行かなくて済むようになりましたが、まだガスは復旧しておらず、お湯が使えないので体は洗えません。今日、お湯の出るようになった会社で、一週間ぶりに髪を洗いました。
ちなみに会社へは、普段なら地下鉄一本で30分で行けるのですが、4駅分の区間の復旧見通しが立たない状態で、代替バスと地下鉄を乗り継いで1時間以上かけて通勤しています。私服で出勤し、仕事中もテレビはつけたままにして、早めに帰宅する毎日です。
さて、水道は復旧しましたが、依然として食料の確保が深刻な問題です。
スーパーはどこも3時間待ち。家族には朝から並んで買ってもらっていますが、店によっては買い上げ点数が一人5点以内とか、買い物は15分以内という制限もあります。私も会社の帰りにはお菓子しか売っていないドラッグストアへ行って、一人2点までのお菓子を買うようにしています。買うたびに「これであと一日は生き延びられる!」と思うと嬉しくなります。
宮城県でも相変わらず余震が続いています。夜も余震のたびに目が覚めるので、寝不足気味です。地震が来てるわけでもないのに揺れているように感じる事も多く、本当に気が休まりません。
それにしても首都圏のスーパーでの買い占め、本当にやめてほしいです。被災地は本当に食料が確保できなくて困っています。被災地ではすべての物資が足りませんが、それでもみんなで譲り合いながら必死で生きているんです!
そして、石原都知事の「津波は天罰」発言も許せないです。怒りが収まりません。今度都知事選がありますが、こんな人には絶対に当選してほしくないです。
一方で、嬉しかった事もありました。
月曜には神戸市をはじめとする兵庫県全域から救急車が集結。これを見た時は、何だか嬉しくて涙が出そうになりました。
テレビで多くの有名人が義援金を呼び掛けているのを見た時も嬉しかったですね。本当に、ありがたいです。
さて、今日は支援物資運搬の応援で仙台市の隣の多賀城市へ行ってきたのですが、そこで私は津波の被害を目の当たりにしました。
道路脇に延々と連なっている、津波で流されてつぶれた車と、ガレキの山。車とガレキでふさがれて通れない道もありました。何回も通った事のある見慣れた風景が、すさまじい光景に変わっていました。実際に自分の目で見た時の衝撃は、テレビや新聞見た時の比ではありません。言葉になりませんでした。
今日の仙台は午前中から雪が降り始め、夕方には5センチ近く積もりました。最低気温は連日-3℃。真冬並みの寒さです。
それでも、私は電気と水道の通っている自宅にいるのでまだ恵まれているほうです。まだ避難所にいる方々の事を思うと、心が痛みます。
とにかく、今はみんなで力を合わせて頑張っていくしかありません。
これからもこちらのブログでは被災地の状況を伝えていきたいと思いますが、皆さんからのコメントには本当に励まされますので、たった一言でもいただけると嬉しいです。
地震3日目以降の状況 [東日本大震災]
地震発生3日目以降の状況ですが、私の住んでいるところは電気は通ったものの相変わらず水道とガスが止まったままです。
水は給水所で確保していますが、日曜は3時間並んだにもかかわらず水が足りなくなりもらえませんでした。月曜には無事確保できましたが、我が家には水を入れる容器があまりないので、また給水に行かなくてはなりません。
営業している店はどこも大行列。営業時間も、販売されているものも限られていて、買いたいものが全く買えない状態です。
もう4日も体を洗えずにいます。とにかく髪の毛を早く洗いたいです。
でも、まずは食料と水の確保が最優先です。
とりあえず今はこんな状況です。
地震当日~翌日の状況 [東日本大震災]
地震の起きた3/11(金)、私は仕事で上司と一緒に福島県の郡山市に行っていました。得意先の建物に入り、ロビーで待機していると、上司の携帯に緊急地震速報が。
しばらくすると地震が来ました。かなり大きかったので建物の外へ出て駐車場に避難。
しかし揺れは収まるどころかどんどん大きくなっていき、相当長く続きました。もう立っていられないほどでした。
ビルが倒れてくるんじゃないか?地割れするんじゃないか?という恐怖でいっぱいでした。
「私の人生もここで終わりか」と思ったほどでした。
郡山市は震度6弱。
今まで体験した事のない大地震でした。
そして商談は急遽中止となり、仙台に戻る事に。
しかし高速が通行止め、国道も福島市内が土砂崩れで通行止め。1時間で数百メートルしか進めない区間もあり、郡山から仙台まで戻ってくるのに10時間もかかりました。(普段なら2時間で着くのですが)
通行止め箇所を迂回路で抜けるまで8時間運転したあと、上司に運転を代わってもらいました。
会社には寄らずに、家の近くの避難所に直行。着いたのは深夜2時過ぎでした。この日は避難所で一夜を過ごしました。
宮城県は全域で停電していましたが、福島市は電気が通っていて、無事ガソリンと飲み物を補給できたのが不幸中の幸いでした。
翌朝、自宅に戻りました。仙台は震度6強で、私が地震に遭った郡山市よりもさらに強い揺れだったとの事。
地震直後、家の中はぐちゃぐちゃだったようです。だいぶ片付けられていましたが、電子レンジは床に落ちたまま。マンションにもひびが入ったり、一部コンクリートの壁がはがれ落ちていました。
電気ガス水道が止まったままなので、車で携帯を充電しながら携帯のテレビで情報を収集。
行ったことのある街が津波で壊滅しているのを見た時は本当に辛いです。
そして昨夜20時半過ぎ、私の住んでるエリアの電気と水道が復旧しました。(携帯から一つ前の記事を更新した直後です)
これで、昨日はゆっくり家の布団で寝ることができました。
しかし相変わらず震度3クラスの余震が続いています。余震のたびにまたあの恐怖がよみがえってきます。
携帯もなかなかつながりません。昨日は日中ソフトバンクがずっと圏外。夕方以降はドコモがずっと圏外という状態で、まだ続いています。ただ、電波が入った状態でも、電話を受ける事はできるのですが発信ができません。ちなみに固定電話も全くつながりません。
以上、地震発生当日から翌日にかけての詳しい状況をお伝えしました。
※節電のため、当面はパソコンは立ち上げずに携帯からの更新とさせていただきます。
3/13 9:50追記
水道復旧と書きましたが、先ほどから再び断水となりました。