東日本大震災から3年 [東日本大震災]
昨日3/11(火)、東日本大震災から丸3年を迎えました。
仙台市青葉区の勾当台公園市民広場では日没後、約3000本のろうそくに灯をともす「キャンドルナイト2014」が開催され、ろうそくを入れた紙コップで「しあわせ」の文字が作られました。(詳細はこちら)
私はこの日、仙台市の東京エレクトロンホール(旧・宮城県民会館)で行なわれた 3.11大震災メモリアルイベント「未来へ 明日へ」 に行ってきました。このようなイベントに参加したのは初めてでしたが、震災を乗り越えて前に進んで行こうというメッセージを感じ取ることができました。レポートは次の記事で詳しく書きますね。
東日本大震災を風化させてはいけない!
とずっと思ってきたにもかかわらず、最近、自分の中で確実に震災が風化してきています。
これではいけない!という自戒の念も込めて、簡単ではありますがこの記事をアップしました。
東日本大震災から2年 [東日本大震災]
東日本大震災から丸2年が経ちました。
2日遅れにはなってしまいましたが、節目なので震災に関する記事を書きたいと思います。
今回は、震災に関連する言葉で特に印象に残っているものを紹介します。
「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて」
今年6月、岩手県釜石市に建てられた「津波記憶石」に刻まれた、地元の女子中学生が考えた後世へのメッセージです。今回の津波は1000年に一度の大津波とも言われていますが、1000年後にまた同じ悲劇が繰り返されないよう、この言葉は1000年間しっかりと語り継いでいきたいものです。
「私たちが生きている今日は、亡くなった方々が生きたかった今日です」
2011年10月22日、大阪の京セラドームで行なわれた都市対抗野球の開会式での選手宣誓の中の言葉です。そしてこの言葉の後は「今、生きていること、働けていること、野球ができることに感謝の気持ちでいっぱいです」と続けられました。私も、家も仕事も失うことなく、震災前と変わらない生活を送ることができているので、感謝の気持ちを持って生きていこうと思います。
「微力だけど無力ではない」
シンガーソングライターの川嶋あいさんが、復興支援チャリティーライブを行なっていた時に使っていた言葉です。復興支援に協力したいと思っても、つい自分には何もできないと考えてしまいがちですが、この言葉を聞くと、できる事から少しずつやっていけばいいんだという事に気づかされます。
仙台に住んでいる私も被災しましたが、2年も経つと震災の記憶がだいぶ薄れてきました。辛いことを思い出さずに済むようになったという面もありますが、震災を風化させないためにもこういう言葉を忘れずにいたいと思います。
震災から一年半 [東日本大震災]
仙台に住んでいる私は、9/11が近づいてくると「あぁ、もうすぐ震災から一年半になるんだなぁ」と思うことがよくありました。この節目の日というのは、改めて震災の事を考えるきっかけになっていました。
そんな私は、9/11の夜のニュースは各局とも震災特集一色になるものとばかり思っていました。
しかし、私が見た某ニュース番組では尖閣諸島や政治のニュースが中心で、震災関連のニュースはちょっとしか放送されませんでした。
新聞では、各紙とも震災の特集が組まれていたので、ちょっと意外でした。
私自身、津波や原発の被害には遭っていませんが、だからこそなかなか被災地の現在の状況がわかりません。それで、こういう節目の日の報道には期待していたのですが、残念ながら全国的には震災は風化してしまっているのだと実感しました。
そんな中、フジテレビ系の「ニュースJAPAN」では、宮城県南三陸町の防災対策庁舎の前から中継を行ない、現在の被災者の生の声を伝えていました。
石巻の巨大缶詰 [東日本大震災]
(2012年3月25日撮影)
この巨大缶詰は、実は地元の水産加工会社「木の屋石巻水産」の敷地内にあったタンクで、東日本大震災の津波で300メートル近くも流されてきました。
この巨大缶詰の震災前の様子はこちらです。
観光スポットにもなっていたようですね。
震災後についてはこちらをご覧ください。
6/30に、このタンクの解体撤去作業が行なわれました。
津波の脅威を後世に伝えるために保存を求める声もありましたが、被災者の「震災を思い出す」という心情を考慮して撤去することになり、解体後は鉄製のテーブルやベンチなどに生まれ変わるそうです。詳しくはこちら(2012.6.30 毎日新聞)をご覧ください。
宮城県南三陸町 訪問記 [東日本大震災]
昨日で、東日本大震災から1年3ヵ月を迎えました。
遅くなりましたが、今年3/25に南三陸町へ行ってきた時のレポ(後編)を書きたいと思います。
前編は、4/3に書いた「南三陸キラキラ丼」のレポ記事です。(こちらです)
まずは防災庁舎です。
献花台が設置されていて、多くの人が訪れていました。
私も、手を合わせてきました。
東日本大震災から一年 [東日本大震災]
2011年3月11日に発生した東日本大震災から、一年が経ちました。
本当は3月11日にこの記事を書きたかったのですが、書きたい事がありすぎてまとまらず、なかなか書けませんでした。
でも、この節目に震災関連の記事を書いておかないと私の中で次に進めない気がするので、今の心境などを思いつくままに書いてみたいと思います。
震災から9ヵ月 [東日本大震災]
今回支援したのは、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区の被災者の方々です。
海沿いにある港町の閖上地区は、津波ですべてが流されました。今もまだ多くの船が打ち上げられたままで、家の土台すらも無い、すべてが流された光景が一面に広がっています。
(閖上地区の状況はMSN産経フォトのサイトで見ることができます。4/1はこちら、6/11はこちら)
その閖上地区では毎週日曜に「ゆりあげ港朝市」が開催されていましたが、震災後もイオンモール名取エアリの西側駐車場を借りて、毎週日曜の朝6~10時に開催されています。
(震災前の朝市について詳しくはこちら、震災後の朝市について詳しくはこちら)
今回初めて行ってきましたが、夜明け前からかなりの人が来ていて、活気にあふれていました。
震災から7ヵ月 [東日本大震災]
3月11日の東日本大震災から、7ヵ月が経ちました。
今までは、毎月11日になると「東日本大震災から今日で何ヵ月」と大きく報道されていましたが、今回(10月11日)は、あまり報道されなかったような気がしました。
先月、「震災から6ヵ月」という大きな節目を迎えた反動なのでしょうか?
実際、仙台市でも内陸部では普通の生活に戻っています。
9月23日からは東北新幹線も震災前と同じ通常ダイヤに戻りました。
しかし、津波の被害が大きかった宮城県沿岸部では、まだ普通の生活には戻れていません。
今でも、宮城県のテレビ局では定期的に震災関連の特別番組が放送され、被災地での復興に向けての取り組みや、被災地が抱えている課題などが紹介されています。
東日本大震災から半年 [東日本大震災]
3/11の東日本大震災から、今日で半年が経ちました。
最近になってようやく余震が少なくなり、夜もぐっすり眠れるようになりました。
このまま余震が収まってくれることを願います。
さて、私は仕事で宮城県と福島県を両方回っているので、震災後のそれぞれの県の状況がよくわかるのですが、宮城と福島では全く状況が違います。